支援学校演劇部顧問に聞いた「演劇が良い」理由
「そちらの放課後デイでは演劇を活動の中心にされるそうですが、なぜですか?」と言う問いに、まず答えられなかったらダメだろう。
このホームページを立ち上げるときに、そう思いました。でも、答えにくかった。経験的にも、感覚的にも「演劇はいい」と言えるのですが、ちゃんとした理由がわかりません。それがあるのは子どもの心の中で、目に見えないからです。
3つのポイント
- 自分をコントロールすることの簡単さに気づくこと
自閉性の障がいがあると難しいと思いがちですが、演劇という手続きを踏むと、自分を簡単にコントロールできるようになります。 - 自分をコントロールすることの楽しさに気づくこと
たとえば、車の運転が上達して、思い通りに動かせるようになると楽しくなります。そんなふうに、自分を自由に操縦することに自信がつき、余裕ができて楽しくなってきます。集団活動や、苦手な活動にとりくむことに、やりがいを感じるようになります。 - ひととのつながりを意識できる
ひとと一緒にいることを楽しみ、楽しさや充実感の体験を共有できるようです。
詳しくお知りになりたい方は、続きをお読みください。ポイントに気づくまでの経緯と、演劇活動の雰囲気を感じ取っていただけると思います。
障害のある方の自立は、心の難しさによってさまたげられる場合が多いように思います。
心の難しさを解決する上で、以上の3点の特徴を持つ演劇活動はとても有効です。
1時間のお話をまとめたので、かなりの分量がありますが、座談会形式で、伺ったお話をご紹介します。
演劇部の日常

自閉傾向がある子はセリフを覚えるのが得意ですよね。



うん。そうですね。



初回に渡した台本を憶えてしまうと、途中でセリフを差し替えても覚えなおせないというのも彼らのパターンですね。



そうそう。なにかしら自閉傾向がある人はその特徴を持っていますね。自閉傾向と言えば、普段の会話からセリフっぽい子がもいます。



確かに、語尾までちゃんとしゃべるしゃべり方をする子がいますね。



アニメのキャラクターになったり、違う人に変わったり、演じながら生活しているかのような人だった。急に新体操のリボンを、ピューとやってみたり。



CMのセリフをずっと話してる子もいるし。



唐突に、今日は私の為にありがとう!ってやりだして・・・。まわりから見たら不思議でしょ?
だけど、本人は不思議がられてるとは思わず、普段から自分の世界にひたりきるっていう。勝手にやってたら変な子だけど、舞台の上でやったら素晴らしい人になる。



舞台の上では、自分の役以外に急に変わったりしないですね。



うんうん。



普段はセーブしないのに、なぜ舞台の上ではセーブするのでしょうか?



それは、ひとつのお話に入っている所だからではないでしょうか。別のお話に入ってる自分は出てこないってことかな。なんででしょうね?



色々、不思議なんですよ。



ずっと、ひとりごとを言ってる人も、演劇部の練習中や本番ではひとりごと言わなくなるでしょ?



言うべきセリフが決まっていると楽なのかな?



そうですね。自閉症全般の人は、自分でも演出が言うような内容のひとりごとを言ってることがあるじゃないですか。ここは小さくとか大きくとか。この人怒ってる、とか。だから演出が、ここから声が小さく、だんだん大きくなってと、解説を加えて納得したらやってくれる。



そうなんでしょうね。



あやまるとき、大声で「ごめんなさーい!!」って言ったら、謝ってないでしょって。



そう言うの、楽しそうに聞いてますよね。
例えば大声で登場してきた怪物に女の子がなつくというシーンで、おどかすように「ヴァー!」って言うと女の子が怖がってなつかない。だから「あくびをしながら間の抜けた声で言って」と言うと「はい、わかりました」ってちょっとつかんだ、みたいなところが、嬉しそうなんですよ。



うんうん。



演出の指示を出されると嬉しいような。



その人の場合は、本人に中にプランはなくて、でも、期待に応えたいみたいな気持ちだったんじゃないかな。



何をしたらいいかが分かって、正しい事ができる安心感かな。
ちょっと難しい台本のときに、このセリフはこういう気持ちなのでこういう風に言うという解説をつけて渡したら芝居が変わったんですよ。
ある子は、これを見て、ようやく何をしなければいけないか分かって出来るようになったと言っていました。
自閉傾向があると文脈読み取ったりするの苦手だから、そこを書いてあげて、だからこうすると良いよと説明したら納得できるようになる。



もう少し自閉が重い人は、ここは小さく、ここはハッと思って振り返るとか具体的な動きを細かく指示しないと出来ない人もいる。でも、細かくやることが本人は嫌ではなさそうですね。



細かい所まで演出をつけて理由を説明した方が出来ますよね。
ダンスみたいにパッパッパッとフリだけつけるよりは、こういう気持ちだからこうなるでしょ、と言った方がわかってもらえやすいと思います。



やっぱり納得する。体感してみて、相手役だってそうなわけで、やりとりが生まれた時にしっくりくるのかな。本当のところはどうなんでしょうね。



一緒に顧問をさせていただいた時、演劇部に入ってきた子どもたちはどんどん変わっていきましたね。



そうですね。例えば、戦いのシーンで剣を持ってピタッと止まるということを何度練習してもできなかったのに一度舞台を経験するとできるようになる。フニャフニャしなくなりました。



それはどうしてでしょうか。



最初はやっぱり恥ずかしさとか、どう立ちふるまっていいか分からなくて、一回経験したら分かるようになるのかな。舞台に上がると、皆から見られる快感があると思います。



舞台に立つ快感って具体的にはどういうことでしょうか。



うわ~、凄いね!と言って貰えたり、自分が言ったセリフで相手が反応してくれたりと擬似体験のやりとりが嬉しいというようなことだと思います。



練習をしはじめた頃はかみ合わないのに、演出をつけていく中でかみ合っていく、本番前になるとすごくかみ合っていく、本番を重ねるとさらにかみ合っていくのはどうしてだと思いますか?



セリフをおぼえていないうちはなんだっけ?と思い出すのに精一杯で相手のセリフを聞いてないけど、おぼえると聞くようになるんじゃないかな。



自閉の子はあまり人の話聞かない傾向があるけれど、聞くようになって、間が良くなっていく。



次のセリフを言わなきゃ!というような必要性があって聞いてるというのもあるでしょうね。



だんだん間が良くなるのは、何度か同じやりとりするうちに安心してくるのでしょうか。自閉の子は違うところに注意がいったりして、テンポがズレたり、会話にのれなかったりするけど、やってる内にスムーズになるように感じています。



合唱してるみたいになる、いいリズムになってくる。楽器のセッションみたいな感じになってくる。



このセッション的なやりとり、気の合う友達とのやりとりみたいな経験は、日常の中でもできているんでしょうか?



少ないと思います。あったとしてもパターンですよね。



パターンですね。本当に、判で押したような会話をしていたりしますよね。一ヶ月前にしてた話を、全く同じセリフでしているとか。



それが安心なんでしょうね。



そのパターンができると、そのパターンがないと話ができないみたいになる。複雑な人間関係が苦手でしょう? 力関係が上になったり下になったりすることはなく、一定の、同じパターンでしかこの人とは関係性を持たないような。



それが、演劇をすると日常とプラスしてたくさんの経験ができる。



関係性が入れ変わるような芝居をすると良さそうですね。



1本やり終えて、配役を変えてやったら面白くなるかもしれないですね。



練習で、配役を変えてやるの楽しそうでしたもんね。



姉妹の、姉と妹を入れ変えたり。姉になったら姉になり。妹なら妹になり、よく分かってやっている。



急にやってもできてますよね。



そうですね。
セリフを覚えられないからじゃなくて、自信がなくて場面緘黙っぽい子や、どもっちゃうタイプもいますね。覚えているかの確認がとれないくらいの。
でも演劇は、発話がなくても重度でも、舞台の上に立っちゃえばそういう「役」として受け入れられる度量の広さがあります。
演劇に期待するのは、そういう子どもたちの開放や達成感ですね。
自分をコントロールすることの
簡単さ、楽しさに気づく



演劇をすると、人の人生を、登場人物の人柄を借りて気持ちを理解する場面を持てますよね。



人とつながった感覚があるのでしょうか。



人の気持ちって分からないですよね。特に自閉の子とか、発達障がいの子とかは慮ることが苦手です。でも、セリフを読んで、この人はこう言ったから怒ったとか、それで悲しくなったとか気持ちの動きが書いてあると、本を読んだり映画を観るよりもすっと入る。
実際自分がやって、体を動かしたり、声を出したりする演劇の方が、気持ちが入りやすいように思います。



それは強烈に、そうだと思います。



自閉の人のは、たとえば面接のときはノックをするというようにとか、対処療法的に1回ずつこれはこうって覚えることが多いのですが、使いまわしが効かない。
演劇はやった数だけインプットできるんじゃないかと思います。



更にその先が予想できるようになると言うか・・・。



応用できるようになるということ?相手のことを考えるようになる?



他者理解って言うと難しくなってしまうけれど、自分の気持ちが分かるようになってくる。納得の仕方や、気持ちのおさめ方とか・・・。



おさまってるかな?演劇活動を重ねてもブツブツ言ってる子もいるよ。



ブツブツ言っても手は出ない。気持ちをおさめて衝動性を軽減しているように思います。



ひとつのセリフを、ああ言ったり、こう言ったりする中で、自分の持ちパターンが増えるっていうことかな。大きな声を出さなくてもブツブツ言うことでおさめれるようになっていくような。



感覚的なことなので仕組みをうまく説明できないのですが、なりそうな気がしますね。他にも自発性が出てきた例とかありますか?



どんどん声がでてくる子がいました。マイクをつけないと全然聞こえない声だった子が次の舞台では聞こえるようになっていました。
なんだろう、あのがんばりは。人に見られることで自信が出てくるんじゃないかな。とても劣等感の強い子だったけれど、一般的な言い方をすると、根性がつくというか、堂々としてくる。



なぜか根性がつきますよね。



舞台に放り込まれると、誰にも頼れないし、泣きたい気持ちになるけれど、芝居をする上でその気持ちをおさめないといけない。泣く場面じゃないから泣けないでしょ。セリフで言わないといけないし、進んでいくもんね。だからかな、日常の姿とは違ってましたよ。



確かに根性でてきましたよね。



簡単に「根性」でくくってしまうのはイヤだけど…。特別支援学校の人達は、保護者や先生が助けてくれて追い込まれることなく育ってきていて。それがポーンって舞台に放り込まれたら「やるっきゃない!」って腹をくくる効果があると思う。それは、練習の頃からあると思う。



それはありそうですね。



その役はその人しかできないし、気持ちで負けると、話が進まないから。



日常では気持ちのコントロールが難しい人たちですが、舞台の上では気持ちから逃げたり負けたりしないですね。



普段、感情の浮き沈みが激しい子どもでも、医療的なレベルでの難しさがあると言われる子でも、演劇部の顧問からすると「あの子いい子ですねー」みたいな所しか知らない。すでに演劇部の練習に来る時点で、腹くくってるっていうか、日常とは遮断して、やるっきゃない自分になって来るんじゃないかな。



確かにそれはありますね。部活と言うくくりじゃなくて、演劇をする上で役者に大事なのは背筋力があるかどうかという言い方をしてきました。要は、自分の役を背負ってまっすぐ背筋を伸ばしてセリフが言えるかどうか、役として背負えるものがたくさんなほどいい芝居になるよって言うときに背筋力がつくというようなことです。
できるようになること
「ひととのつながりを意識できる」



身体的なことで言えば、息を大きく吐く発声の違い。相手に届く発声をせず、自分の中だけでブツブツ言ってる。それが、相手に届く発声を求められるでしょう?健康的になると思う。



舞台の距離で話すことってないでしょうね。そんな距離感で話すことは苦手ですから。



日常やってる、相手に伝えようってことを、自閉の子は相手に伝わるように話さないし、ブツブツ言う。それが、相手に届く発声を意図的にするってことは、全く違うモードでやってる。自閉の子がやらない感じでやってる。



それは強烈に、そうだと思います。



セリフって、言い方があって、パーってたたみかけて、ポンと間をとって、このセリフをゆっくり立てて言うって、息づかいがとっても大事で、直接これを指導したことはないけど、セリフがうまく言えるときって、これがうまくいっている時。



身体的な、息がどうこうじゃなくて、「相手に届かせる」ってことが大きいような気がする。相手のセリフを受けるって言うのも大きい。だって、閉じれない。



そう、閉じたら芝居にならない。



演劇の経験者が芝居をはじめた人に、「それ、閉じてるよ」って指摘するのはよくあることだけど、特別支援学校で「閉じてるよ」とか「今、会話になってないよね」って指摘するのは実は特別なことじゃないですか? そこを求める、求めてましたけど。



指摘して、会話を求めるとできるって、すごいですよね。



私たちの演出のやり方って大分違うけど、気持ちを伝えて出来る子もいるけどできない子もいるでしょ? 形から入って、気持ちがついてくる。私の担当した子はそういう子が多かった。こういう風にして泣くんだよ、とか、笑うんだよ、とか。そう言うところから身につけていく。だからどんな人にも演劇やって欲しいなと思います。ぜひ体験してください。